「地域と共に過ごすための場所を」
- 2014.1.6
- ARIGATALK
障がいのある子どもと親の行き場が欲しかった
黛 以前にもお話したと思うのですが、
私のところは三人娘で、真ん中の子が知的障がいで。
福島 うん。
黛 で、まあ1歳6ヶ月のときに障がいがあるのがわかったんだけど、
そこは青天の霹靂っていうか。
福島 そうですよね。
黛 まったく、こう、縁のない福祉の世界というか。
福島 (福祉関係は)生まれて初めて?
黛 そうなんです。
1歳6ヶ月まで「遅いね、歩かないね」って、それで、心配になって小児科に行って、
小児医療センター紹介されて。
そこで、精神遅延と診断されたんです。
福島 へぇー。
1年半も(気付かなかった)?
黛 そうです。
首もちゃんと座ったし、寝返りも打てたし、
ちょっと言葉の遅れはあるけど、ただ夜は寝ない育てにくい子ぐらいに思ってたんですけど、
1歳過ぎても歩かない、よその子は歩いてるのに…って感じで、
福島 ふーん…。
黛 (精神の発達が)遅れてるってことですよね。
そこで、地域の保育園で受け入れてもらえたことからですね。
福島 ふつうの(保育園)で受け入れてもらえたんですか?
黛 そうなんです、お医者さんに診断されたときに、「早くこういう子は集団に入れてあげてください」ということで、
いろいろ探して、S保育園にお世話になれたんですよ。
福島 うーん!
黛 で、そこから、周りの子どもたちと同じように育てて頂いて、
その中で、いろいろ出来ないことを出来るように、先生方が工夫や協力をしてくださって、
とてもいい環境で育てて頂きました。
その流れで、小学校に入るにも地域のひとに育ててもらえたらいいなって思って。
でも、ちょっと地域の小学校で理解が得られなかったんです。
福島 はい。
黛 そんなことがあって、そこの小学校から別の小学校に転校したんですよね。
福島 はいはい。
黛 (転校は)思い切った判断で。
本当は養護学校に行くような子なんだけど、やっぱり地域で、
低学年のうちは他の子と関わって…保育園であんなに関われたんだから、という思いと
地域の子に、「こんな子もいるんだよ。」ってことを知ってもらいたい、っていう思いがあったんで、
転校したんです。
福島 はい。
黛 私と同じように、地域の学校や保育所の理解が得られなくて、悲しい思いをしている親御さんたちが
高崎市内に何人かいたんです。
やっぱり学校が終わったあとに、お家に帰ってきてお母さんと過ごすだけ、っていう生活でなく、
高崎市内に障がいがある子向けの学童みたいなのがあればいいなって。
そうして、(そういう学童が欲しい)お母さんたちが集まって始めたのが、
「学童クラブハーモニー」なんですね。
福島 うーん、なるほど。
黛 それで、お母さんたちが一生懸命市役所に足を運んで。
最初はすごい(市役所のひとに)やっかいそうな顔をされたんです。
でもそれが徐々に受付のなかに入れてもらえて、話も聞いてもらえるようになって、
そうして「学童クラブ ハーモニー」として場所を提供して頂いて、ってというところのスタートでしたね。
福島 じゃあ今みたいに、他の事業者が行ってることの、まさに先駆けだったんですね。
黛 そうですそうです。
福島 だから役所も(今までいなかったから勝手が)全然わからないっていう感じで…。
黛 そうです。
それで、群馬県にもそういう集団訓練事業が平成7年からあったので、そういう事業を高崎市でもお願いしたいということで、
「学童クラブハーモニー」をなんとか高崎市で始めたんです。
そうなると、やっぱり親御さんも頼りますよね。
福島 はいはい。
あれが一番最初なんですね。
黛 そうですね。「学童クラブハーモニー」の活動を通じて、市役所のひとたちも、
こういう場所の必要性を理解してくださって、
2ヶ所目の「学童クラブひまわり」は、新しい場所と建物を提供してくださったんです。
せっかく新しく建てて頂いた建物、放課後だけでの活動だけでは午前中の空き時間がもったいないよね、ってことで
就学前のお子さんの育ちを支援する場所にしようってなったんですよ。
私も自分の子のことで経験していて、小学校に入る前の幼児期の行き場が高崎にはなかったので…
それで、発達につまづきや障がいのある幼児の通える場所として、「高崎市児童デイサービスひまわり」を
高崎市と一緒に開所したんです。
福島 はいはい。
黛 今では、就学前のお子さんの通える療育の場所も増えましたが、
保育園や幼稚園のように、お母さんと離れて毎日通える療育の場所がまだ少ないんです。
あともう2箇所ありますけど、そこは集団かつ母子分離ではなくて、個別で訓練的な診療をするところだったんです。
福島 今で2箇所しかないってことですか?
黛 そうなんです、だから、うちも飽和状態なんです。
通っているお子さんの障がいの幅も広がっていて、発達障がいの子たちが元気に走り回っている横で、
体の不自由なお子さんがベビーベッドで寝ているという中で活動をしているので…。
この状況を改善するためには、もう1か所の活動が必要で、ここ「こっころ」の開設に至ったわけなんです。
福島 かわいいですね、「こっころ」。(笑)
黛 ねー。(笑)
福島 今まで、S保育園に入れたってことは恵まれてたんですか?
黛 恵まれてたんです。
福島 それ以外の人たちって、こう、自分のところ(「学童クラブハーモニー」や「学童クラブひまわり」)で見てたんですか?
黛 ほとんど自分のところで見ていたり、ですね
けれど、だんだん障がいのある子同士のお母さんの集いみたいなのが市で開催されて、話を聞くと
養護施設に通うか、それとも地域の保育園や幼稚園になんとかたどり着くかで…。
それで(保育園や幼稚園に)受け入れてもらえる人はラッキーです。
だいたい、親御さんがお家で抱えて、そのまま就学になる、っていうことが多いんです。
福島 けど、家でみてたら、(親御さん同士の)つながりも…。
黛 できないですよね。だから、お母さんたちもすごく心細くて…。
そういう自分たちが経験したことを、他のお母さんたちにしてほしくない、っていうことと、
安心して預けられる場所として、ここ(学童クラブ)が少しでも役に立てばいいな、っていう…。
私の中では、自分自身が障がいのある子を授かってここに至ったので、
「私ができたんだから、他のひとにもできるんだよ!」っていうことを伝えたいんです(笑)。
福島 ふふふふ(笑)。
黛 ちょっとそこを、自分の頑張りどころにして、力を発揮すればだれでもできるんだよ!ってことをぜひ、って思って
(大変に思わなくなる親御さんが)少しでも増えてくれればいいなという思いもあるんですけど。
福島 そうですね…。
それで、今は幅が広いですよね。子どもの障がいの程度とか。
黛 そうですね。
今は障がいの幅がすごく広がってしまっているので、動きのいい子は動きのいい子でみてもらって、
ちょっとゆっくりな子や肢体が不自由なお子さんはこっちで、ゆっくり(みる)ってことにして、
それぞれの場所で見れるようにしてあげられたらもう少し活動も
思うように出来るだろうなという思いがあって、(今までの活動に加えて「こっころ」での活動も)すごく楽しみにしているんですけど(笑)。
福島 黛さんからみて、こういう施設ってあと何箇所くらい必要な気がしますか?
この高崎だけでも。
黛 そうですね~…前橋には6箇所も7箇所もあるんですよ…
群馬県全体だと14~5箇所かな。
福島 ええー!そんなに少ないんですか?!
(そういう施設はみんな)前橋に集中してて…。
黛 そうですよ、あとは館林とか、太田とか…
もう各市町村に1箇所あればいいほうですよね。
あと…北毛ですか、利根沼田に1箇所しかないし、そして、西毛ってなるともうないんですよね…。
藤岡とか、富岡とか、あっちのほうはつくってませんから…。
福島 ちょっと脱線すると、そういう(集団訓練)事業みたいなのは僕でも出来るんですか?
黛 できますよ!
福島 やる気だけ?
黛 そう、今、これも国の仕事なんですけど、指定を受けるのにある程度経験とかも必要なんですが、
指定申請の事項にちゃんと該当している書面と環境等を整えてあげて、現場に入る有資格者の人をそろえればできるんです!
福島 おおお!
黛さんは、もっと広げるつもりなんですか?
黛 いや、もう私は自分がね、ド素人でやらせてもらって本当申し訳ないんだけど、
やっぱり、放課後(からみる学童が)がもう3つで、それで今回もう1つ「こっころ」が増えるとなると
事業を回していくのは、地に足をつけてじっくりと…これからは事業の内容の方に
もうちょっと力を入れたいかな。
福島 内容を充実させるっていうか。
黛 そうです。
あと場所によっては、ここを卒業したあとの子たちの、身内の場所…
児童で行きたいので、そこはブレたくないんですけど、
職員がどうしてもやりたい!っていうのであれば、自分たちでいろいろ必要なものを準備すれば、
それなりに、やってもいいかなって…。
福島 あと、弟子っていうか…黛さんのところが
ただの働く場じゃなくて…。
黛 そうなんです!
いずれ自分が独立して(事業を)やるというときに、そういう
足がかりにしてもらえたら、私はすごくそれはそれでありがたい。
福島 ほんとう、そうですよね。
(そういう人は実際に)います?
黛 やっぱり…自分で精一杯で、そこまで考えてる人はいない。
職員でも前橋の人とかいて、
前橋も中央のほうに(施設が)寄ってるんですね。
高崎寄りとか、伊勢崎寄りではないので、そこから通ってるから、
「じゃあ自分で初めたらどうなの?」っていうふうに言ったら、
「いや、そこまで自分はそこまでのキャパはない」というか、
自分は2番手、3番手で力を発揮するんだよっていう感じで。
福島 そこは難しいですよねー。
黛 そう、なんかね…。
簡単には言えないけど、やってみなきゃわからないじゃないですか。
それで、放課後の事業所は、たいぶ増えたんですよね。
前橋とか、高崎も増えたんです。
福島 へぇー。
黛 うちでも3箇所やってるけれども、3、4事業所で3箇所くらい開所がつづいて、
新しいところも参入してきて、それこそ株式とか。
福島 (会社も)入ってきている。
黛 規制緩和がね。
いろんなところから…そういう、県外の株式の人が来て、開所が増えてるんですよ。
障がい者の親だろうが、身内だろうが、全然関係なくても、
やっぱり障がいを持ってるお子さんとかに対しての「なんとかしたい」っていう思いさえあれば、
もうこの事業を始めるうえでは基本で絶対ですね。
福島 「乗り越えられる」ってね。
黛 それを一番根底に持って事業展開してくれる、ということができる事業者さんであってほしいなって思いますね。
そういう方たちが増えてくれたらいいなって。
青天の霹靂から生まれた「ビジネス」
福島 黛さん見てると、やっぱり「経営者」って思うんですよ。
黛 あー、そっちになっちゃってるんですかね…。
福島 経営者。
黛 ええ。
福島 やっぱりね、そういう感覚ないとできないんですよ。
黛 だから、そこでいろんなことがあって、なおさんにも迷惑かけちゃったんですけど(笑)。
福島 いえいえ(笑)。
黛 でもやっぱり、自分のなかで必要としてる経営能力っていうのもこう、
芽生えたタイミング、っていうのがありますよね。
法律が変わったり、事業収入の額が変わってきた時点と、
職員の雇用の形態変化っていう風になってきたときに
経営者、というか事業者の立場になっている部分がある、かな。
福島 そうですね。
黛 やっぱり私の中では、親の立場を最優先したいので、仕事の事業というか
経営者の立場はちょっと置いておいて、親としての立場で、
ここに通ってる親御さんに寄り添う支援をしていきたいなっていうのはある。
福島 その2つ持ってるひとっていうのは少ないですね。
この前ね、「ビジネス」って言葉をちょっと考えさせられたんですよ。
黛 はい。
福島 僕ら日本人からすると、ビジネスイコール商売、金儲けみたいなのがあるんだけど、
なんだかもうちょっと違う意味があるらしくて。
どういう意味かっていうと、
社会的問題をどう解決するか、そしてそれが解決できた時にはそれはちゃんと自分たちの報酬として
返ってくるだろうかっていう…。
もっとね、壮大な思いっていうか、黛さんがやってるのは
言葉は日本的には正しくないけど「ビジネス」。
黛 ああー。そうかぁ…。
福島 社会の声を、自分たちで汲み取って、それをなんとかしようってところに、
働いてる人たちが職を得られたりとかっていうことは
まさに「ビジネスモデル」っていうか、だから
「商売」っていうとおかしいんですよね。
「ビジネス」…社会の問題とちゃんと向き合って解決していくっていう…。
素晴らしいですよね。
黛 それはもう、元を正せば障がいのある子どもを自分の子に授かった、っていうところがね。
福島 ねぇ!
黛 セコいけど(笑)。
福島 そういう星だった、というか。
黛 マザーテレサのような(障がい者との)出会い方ではなく、自分が、っていうところの
発信なので…。
福島 それがなかったらここやってないでしょ?
黛 ないですねえ…。
まったくこういう業界に縁がなかったから…。
福島 でしょう?
ほんとに晴天の霹靂ですよ。
黛 そうなんですよ。
辛い一年間から見つけた必要な支え方
福島 で、(自分の子どもが)小学校上がるまでは(事業を)やるつもりはなかったんですよね?
黛 そうですねー、小学校に上がるまで…小学校2年生からどっかにねーって。
まずね、障がいが1歳6ヶ月のときにわかったときに、長女が小学生2年生だったんですけど、
昔だからね。
小学校から帰ってくると、玄関にランドセル、ポーンと放り投げて友だちんちに遊びに行ってる
日常だったんですよ。
福島 はい。
黛 なんか、「障がい」って聞いた時に、この子には(長女が放課後遊びに行くようなことが)できないのかって思うと
一番悲しかったっていうのがずっとどこかに残ってたみたいで、
やっぱり、S保育園ですごくいい環境で生活させてもらえたことと、
全く間逆な一年間をしたので、(真逆の一年間と)おんなじ思いを親御さんにしてもらいたくないっていう。
こう…犬の散歩をしながら「死のうか」みたいにいろいろ考えながら歩いてて。
福島 へええ…。
黛 もうそのときは「死んでしまおうか」って思ったこともあって、でも、三女を置いて死ねないから
じゃあどうやって死のうかって想像するわけですよね。
なんかいろんな…ねぇ、死に方を。
でも自分より先に三女を手にかけなきゃいけないじゃないですか。
で、それがやっぱり想像するとできなくて。
それでその時思ったのが、「死ぬ思いでやればなんでもできるよな」って。
もうその覚悟が決められればなんでもできるかなっていうのが、一番の強みになったかなって思うと、
その辛い一年間は私に必要だったのかもしれないって。
きっとね、順風満帆にね、生きてきたことよりも、辛い一年間がすごく大事だったんだろうなって思いますね。
福島 それはすごい…。
黛 その影で長女や三女には寂しい思いをさせちゃったかもしれないんですけど(笑)。
福島 まあ…(笑)。
だから、どっちかというと、子どもをなんとか安心させられる環境に置いて親を救う、と。
黛 そうですね。
福島 子どもをね、自由にしてあげられない悔しさとかもあっただろうけど、話をきいてると
親をね、助けたいっていうね。
黛 で、自分自身(親が子どもを安心させられる環境に置けないと)ね、
子どもと向き合う余裕がなくなるんですよ。
福島 ねー。
黛 そこから子どもを叱ってしまったり、手を上げてしまったり、っていう悪循環。
子どもと何回か離れることがあって、それで心の余裕ができると、
やっぱり帰ってきた時に「おかえり」って、ぎゅってできる部分ができたりとか、
他の姉弟とも向き合ったりしてあげられる余裕ができる。
子どもって、親の気持ちがすごく反映されるんですよね。
福島 はいはい。
黛 だから、親御さんにはいつも笑顔でいてもらえるように、
お子さんと、それとプラス、お母さん支援や家族支援なんかを
大事にしていきたいなぁと思ってますね。
福島 なんかやっぱり、その、みんなが集まる、場所っていうのがね。
黛 うん。
福島 最初からそういうイメージが強いですね。
黛 うん。
あとひとつね、そういう福祉の世界ってほんとに(イメージが)暗い。
福島 ああ…。
黛 お母さんたちにしても本当育児に必死な、そういう世代だったので、
福祉の世界はほんとに暗いとか、そういうみんなのイメージを変えたい。
「いいじゃん!」って思われるような、そういう世界にしたいし、もっとお母さんたちにも
自分と向き合う時間をね。
福島 おしゃれしたりね。
黛 そう、そういう心の余裕を持って欲しい。お母さんもっともっときれいになってほしい、
きれいなお母さんいっぱいいるんだから、ってそういう心の余裕ってこともありましたねー。
福島 こう、ガクーンって、(子どもに一生懸命に)なっちゃうんですかね。
黛 ねー。
すべてをそこに、身を投じてしまって、っていう…。
福島 黛さんなんかこう見てると、おしゃれだしね。ハハハ(笑)。
黛 ふふふ(笑)。
なんかね、なんていうのかな、やっぱそういう仕事になってしまってるんですけど、
自分の人生1回しか無いなかで、
こういうチャンスをもらって、いろんな人と出会えたり、お子さんだったり。
こういうことをさせてもらってることをすっごく、
なんて言うんですかね、うーん、
なんかすごい感謝してるし、
そういう部分では、それを楽しんじゃう!みたいな。
福島 なんかね、楽しんでる感じはする(笑)。
黛 ねえ。人生泣いても笑っても一度きりだし(笑)。
福島 うん。
黛 なら、笑って楽しく過ごせたほうがいいかな、って。
福島 だいたいこう、黛さんの雰囲気がね、いろいろ現れてるっていうか。
黛 あーそうですかね。そうなってほしいですね。
福島 うーん。
黛 みんなね、なんか力入っちゃってるっていうか。
福島 なんかね、(福祉の世界に)触れちゃいけないふうになりすぎちゃっているんですよね。
黛 うーんうーん、そうですよね。
福島 他の人と話したときに、「かわいそうだね」って思っちゃうって言われたんですよ。
そんな自分がショックだって。
僕はね、答えがどこにあるかわかんないけど、違いをまずわかる必要がある。
障がいを持ってる子とそうじゃない子の違いをわかるってとこから、そこから、
何が出来るんだろうって話にようやくなるっていうか。
だから、かわいそうともなんとも思わなかったら、ただ通りすぎちゃうだけから、
かわいそうでもいいし、ちょっと不便そうだなって。
黛 そうなんですよね、なにか感じてくれれば。
福島 なんか引っかかりがあるっていうか、気になるというか。
みんな、もっとね、きれいにいたいっていうか…。
僕も、前は全部まったいらに見えたかったんだけど、それができない自分に、
後ろめたいような気持ちになって…。
でも最近はね、車いすの人とか見てずいぶん不便そうだなっていうところから、
どうしたら(不便さが)なくなるんだろう、っていうところ、
僕なんかからの考え方とすると、それが一番いいんじゃないかなって最近思ってるんで。
黛 そうですね、なおさんたちの職業柄、立ち位置からの、この不便さはどうやったら解消されるんだろうかっていう、
そういう見方をしてもらえるってすごく大事だと思うんですよね。
ただその場で手を差し伸べてくれる人もいいんだけど、なんとかできる人がいるのであれば、
環境的なところであったりとかいろんなところに気づいて、声にしてくれて、いずれいろんなかたちで
自分発信もあるだろうし、かたちになっていくっていうのができたら…。
もう素敵ですよね。
福島 素敵。
どっちが偉いとかじゃなくてね。
黛 そうそう!
福島 そこが一番重要かなって思ってるんだけど。
ここからはじまる「一緒の時間」
福島 例えばその…障がい児と健常児がこう、いきなり一緒になるのは社会的には
難しいわけじゃないですか。
黛 はい。
福島 黛さんが、最初ちょこっと話したのが、ちょっとでいいから、ここの一部で一緒に過ごせないだろうかって
言った時に、S保育園はオッケーしてくれたけど、そのあとの小学校は受け入れてくれなかったと。
だったら、ちょっと話して、自分たちの場所を作っていこうよってなったじゃないですか。
黛 はい。
福島 いつかは…人はもっと近づきたいっていう理想がね。
黛 そうなんです。
今は、法律、っていうか文部科学省の考え方もだいぶ変わってきてて、
「障がいのある子も一般の学校の中で必要な支援を受けながら教育を受けて育っていく」
っていうほうにだいぶ方向が変わってきてるんですけど、
やっぱり現場レベルだとそこまで行き届いてないんですよね。
今後も、時代とともに少しずつは変わってくるとは思うんですけど。
福島 うん。
黛 障がいがあってもなくても一緒に生活できる、というか同じ場所で共に過ごすっていうことが
お互いにとってとってもいいことだと思うんですよね。