「こどもの未来と福祉社会の未来のために」
- 2014.2.1
- ARIGATALK
福島 新しく開所する児童発達支援事業所シュシュを建てさせて頂きました。
今回は、熊田さんのこの仕事や子どもたちに対する思いを聞かせて頂けたらなと思います。
よろしくお願いします。
熊田 よろしくお願いします。
福島 まず、熊田さんがこの仕事をする経緯を聞いていいですか?
熊田 はい。わかりました。
福島 福祉は長いのですか?
熊田 そうですね。福祉の専門学校を出てずっとこの業界にいるので長いと思います。
福島 そうなんですね。最初はどんなお仕事だったのですか?
熊田 そもそも初めは高齢者福祉をやっていたんです。
私、実は高校を中退してるんですよ。
えーっと5年、以上かな、引きこもってたんですよ。
福島 そうなんですか、ビックリです。
熊田 もともと、体が弱かったのもあって、行った高校で、ひどくなったりとか高校になじめなかったというか…。それで精神的にもきてしまって、発作が出て、行けなくなっちゃって…。夏休みって結構長いじゃないですか。で、自分の中ですごい安心したんですよ。学校に行かないですんだので。
で、登校日9月1日に向かったんですけど行けなくなっちゃったんですよ。途中で引き返してきちゃって怖くなっちゃって。そこから 家でも、勉強しない、仕事しないっていう、いわゆる引きこもりですよね。
福島 何歳のころですか?
熊田 高1の夏、16歳から20歳過ぎくらいまでですかね。
福島 はぁ。
熊田 完全に家から出ないっていう感じではなかったんですけど、何もしないという生活があって。
それで、親も心配するじゃないですか。
福島 それはしますね。
その5年間ってどういう気持ちで過ごしていたのですか。
熊田 はい。5年って、今考えると長いじゃないですか。で、今5年あったらいろんなことができるなって、正直思うんですよ。でも、当時の5年ってものすごく短かったんですよ。
というか、「1日が」ですかね。
福島 ほう。
熊田 今も若干は残っているのですけれども、いろんなことが気になったりとか、いわゆる鬱的な。病院で診断は受けていないですけど。いろいろ勉強したら「あれは鬱だったんじゃないか」って思うくらいの症状をしていて。
手を洗うのをやめられないんですよ。終わりどころがわからないんです。本当に、10分20分30分ってずーっとやっていたりとか。
福島 あぁ。
熊田 たまたま外に出る機会がある時に、鍵をかけることについても、1回じゃ怖いんですよ。何回も確認しないと。
福島 ほぉ。
熊田 そういうことに時間を費やしちゃってるので、1日に、特別何かやっているわけではなくても、本当に短く感じるんです。
福島 それって鬱的な症状なんですか?
熊田 これは正式な名称があって強迫性障害ていう。
福島 ふぅん。
熊田 手を洗っちゃうのも洗浄強迫っていう病名があるんですけども。
福島 あぁ。
熊田 不安神経症っていう感じの。
もともとの性格もそっちに近かったので余計にそういう風になっちゃったというか。
福島 潔癖症とかそういうことですか?神経質とか。
熊田 たぶんそういうのがありますね。
福島 ふぅん。
熊田 不思議なのが、社会人になって介護のお仕事をさせてもらっている時は平気で。
そういうの普通はできないと思うのですが、そういうのは大丈夫なんですよ。
福島 ふぅん。
熊田 全然できますし、いろんな掃除とかも、汚いところとかトイレ掃除とかやったりできますが
もともと性格でそういうのがあったので、その時にはその症状が出ちゃってたんです。
福島 自分自身に対する気持ちっていうのはどういう気持ちなんですか?
なんか、僕は常に自分に期待しているんですよ。それで、熊田さんにしても高校のその挫折感ていうか、期待していたところと、現状の差があればあるほどその挫折感ていうのがあるわけじゃないですか。
で多分その大きな挫折感があって、5年間過ごしていて、あっという間に過ごすんだけど、常に期待をしているような気がするんですよ、どこかでその期待に応えられたということから、この福祉の業界の時期が始まった感じがあるんですけど、どういう自分自身への気持ちでいたのかなって。
熊田 正直その5年間は、何も考えられないといいますか。
どっちかというと消失感。昔は本当にやる気もありましたし。求められてる以上のことも。
宿題とかもきちんとやったりとか、アイデアも出してってやってきた中で、高校の時も、自分を追い込みすぎちゃった感じなんですよ。小学校から中学校へ上がる時って、あまり気にせず上がってたんですね。
福島 あぁ。
熊田 感覚がないというか。でも中学校から高校に上がる時ってある程度自分の意識がしっかりしてるので、最初の段階で、ゼロからのスタートだから。
高校の時はすべての教科で予習ノートを作ってたりとか、「こういう仕組みでやっていこう」とか。
福島 あぁ。
熊田 小学校や中学校で考えてなかったことを、自分で思いついて自分で追い込みすぎちゃったんです。こういう風にやっていくぞってしていった時にそのペースに追いついていけなくなっちゃったんです。
というのと、担任の先生と合わなかったんですね。
福島 あぁ。
熊田 今までそういう先生に合わないとかってなかったですし、好き嫌いとかじゃないじゃないですか。普通は。
けどそういう感覚以前の問題で、とにかく「嫌」だったんですよ。
福島 あぁ。
熊田 すごくなんて言うか、馴染めない先生だったんです。
というのもあって、とにかくいろんな要素があって。自分自身を追い込んじゃって、そういうのがやる気とかも全部なくしちゃって、一気に爆発しちゃったような感じで。そこで引きこもった瞬間に、全部をなくしちゃったような感じです。やる気もないですし、希望もないですし。
だから、将来どうしようっていう考えもなかったですし。
ただ時が過ぎていくっていう。
福島 あぁ。もうそういう感じなんですか。
熊田 そうなんです。
福島 「俺は何をやっているんだ」っていうそういうのもないんですか?
熊田 本当に最初にちょっとあったくらいですね。
だから、社会人として成り立たないとかいう考えも正直その時はなかったですよ。
福島 ふぅん。
熊田 親にも、迷惑かけてるっていう意識はあったんですけど、例えばこの状態で成人、30代40代までって可能性もあったんですけど、その心配も、そこまで深く考えてなかったですし。ただ1日1日の時が過ぎていくっていう感じで。
その時は自分は勉強が好きで、そういう中での挫折だったので。
だからもう自分でもどうしたらいいかわからなくなっちゃって。
取り合えず親に「大検(高等学校卒業程度認定試験)受かったら大学も受けられるし、行きなよ。」っていう感じで言われて、自分はやる気あんまなかったんですけど、毎年あるので、大検だけは受けた。
福島 うんうん。どの辺の段階で意識的に前を向くようになったんですか?受けようと思ったから変わったんですか。
熊田 いや。受けようというよりか、受けさせられた。
福島 あぁ。もう「やれ」っていう感じで?
熊田 そうですね。その仕組みも知らなかったですし。
親が心配だからそういう情報を仕入れて、本来だとそれを受けるための通信教育とかあるんですが、それを本当にやる気がなかったんですよ。
福島 ほう。
熊田 だから手を付けなかったんです。とりあえず受ける日、10何科目位単位を取らなきゃいけないみたいなんですけど、2日間か3日間位行って、一応テストを受けるんですよ。
そこだけ、連れていかれて、「受けろ」って。それでまあ受けたんです。
そしたら、たまたま、その10何科目のうちのほとんどが取れたんですね。
福島 ははっ。すごいですね。
熊田 けど2科目だけ取れなかったんです。
その次の年にその2科目を取るというような。でもその次の年も取れなかったんです。その2科目が。
福島 あぁ。
熊田 でも、それを取るために頑張ろうという気持ちもなかったので、その1年間は本当にやってないんですよ。
ただ、テストだけを受けるっていう3年間が続いたんですよ。
福島 へぇ。
熊田 ただ、3年目だけは自分の中で気持ちが、覚えてないんですけど、一応昔から資格を取るとかは好きだったので、暗記する能力だけは強かったんですよ。前の日に読んで、意味は分かってなくてもとにかく暗記するっていうのは好きだったので。たまたま前の日にその2教科をちょっとやろうかなっていう気持ちになって、それでとりあえず暗記をしたんです。
福島 ははは(笑)
熊田 そしたらそれで2科目が取れて、全単位が取れたんです。
それで一応大学に行ける資格を得られましたという通知が、12月に来て。それを見た時にすごい、変化があったんですよ。
福島 ほう。
熊田 受かったっていうことで、「大学に行ける」っていうのが証明された瞬間に、ちょっと気持ちが変わったんですよ。
福島 どういう気持ちになったんですか?
熊田 なんか、「新しくもう一回やり直せるのかな」とか。
福島 あ、初めてそこでそういう気持ちが。
熊田 そうです。本当に、その通知を見た時です。
受けてる時もやる気がなかったですし。
福島 へぇ。それで、自分の進路を、というか将来をやっと考え始めたっていう?
そうですね。それが良いきっかけで、もう一回頑張ってみようってなった。けど、普通の大学に行っても多分ついていけないなって。どうしようかなと思ったときに、もともとは病気がちで人に迷惑をかけていたっていうのもあったり、福祉的なことをメディアで見る機会が多くて、最初はミーハーに手話とかドラマで見たりして福祉は面白いなとか感じて。福祉だったら全員ゼロからのスタートであることとか、もしかしたら行けるんじゃないかなっていうんでそれで専門学校に行ったのがきっかけで。
福島 じゃあこの道に進むための5年間だったのかもわからないですよね。
熊田 結構言ってるのが、友達とかでも話してたりするんですが、親に迷惑かけたりして、すごく申し訳なかったんですけど、この業界だったら、この引きこもってるっていう5年間って良い糧になるのかなって。
福島 そうですよね。
熊田 社会福祉っていう大きいことで考えると、引きこもりっていうのも福祉の世界に入ってますし、
不登校っていうのもそうですし。自分が実際に経験してる分、アドバイスできることも多いのかもっていうのもありましたし。
福島 うんうん。
まあ障がいとか病気とかそういうのもいろいろあるでしょうけど、僕なんかも皆で他の会社も集まって勉強会とかするんですけど、そういう時に一番言うのはやっぱり「人間関係が一番大事だ」って。僕も思うんですよ。
自分の人生が幸せかどうかを決めるのはほとんど人間関係じゃないですか。
熊田 そうですね。
福島 その、言ってみたら、先生との挫折感は、人間関係での挫折感ていうか、その5年間の中で味わって今こういう分野に就いて、子どもに接していくというのは、とても意味のある感じがしますよね。
熊田 今自分でも、こうやって普通に働いているっていうのが不思議ですから。
福島 そうですよね。それで実際、専門学校に入ってみてどうでしたか?
熊田 行ったら結構面白いなというのがわかって。もともとのめり込んだら結構がーって行っちゃうタイプなんで。
一切その引きこもっていた5年間は何もしてなかったのに、専門学校に行ってからは学校以外でも資格とかもいっぱいとるようになって。その流れでずっとこの業界にいます。がっつり入っちゃって。
福島 「これだー」っていう感じだったんですか?
熊田 まあそうですね。他を見てないからかもしれないですけど。
最初この世界に入った時とは違って、だんだん知っていくとすごい深いなって感じています。
初めは高齢者の方でこの世界に入って、ちょうど介護保険が始まってすぐくらいの時期で、仕組みっていうのも面白いなって感じてましたね。
現実と理想のギャップもありましたけど、いい意味でも悪い意味でも興味のある世界でしたね。
福島 どういうところが深いなーっていう感じがしますか、福祉で。
熊田 そうですね、実質、奉仕という意味合いが強いと思うんですけど、
介護保険っていう契約で、昔は行政がやっていたのが、面倒見てやるっていうような意味合いだったので。
いわゆる、お世話になる人も、余計なことは言えなかったりとかして。
けど今は介護保険で選べる、対等の時代になってきたんです。
福島 そうなんですね。
熊田 それでもやっぱり奉仕の時代なので、サービス受ける方が遠慮がちというものありますし、サービスを提供するほうも、上目線ていうのもあります。
ただ、株式会社が参入していく中で、いわゆる一般企業と同じような競争社会にもなってきていて。そういうちょうどいい時期に入ったので、今までになかったことをしていくのが面白いなっていう。
福島 あーなるほど。
ちょうど業界が変わるころだったっていうことなんですね。
熊田 そうですね。
福島 高齢者福祉の方に入ったっていうのは、学校でそう言う勉強を特にされてたからなんですか?
熊田 そうですね、入ったのが、社会福祉科っていう。医療福祉、児童福祉科もありましたが、社会福祉科は社会福祉全般に関する科ですね。
福島 あぁ。
熊田 それで、ぜんそくがひどかったので、学校も、小学校中学校は行ってたんですけど、
一か月で本当にかなりの回数休んでたりとか、発作がでて遅刻やら早退やら年中していたので、
自分でももう働けるかどうかも危ういくらいの感じがしていて。
親も同じ思いだったんです。
ああ、「うちの子平気かなあ?」って。
福島 そう。
熊田 なので、自分が動いて働くっていう現場は自分の中で無理だと思ったので、絶対。
だから、デスクワークとか、そっちのほうが自分には合っているというなかでそれでも自分が福祉の方に携わりたいなっていうのはありました。でも介護はできなかったから、社会福祉科の中で介護福祉コースではなくて社会福祉コースにいって事務だったりとか相談をやっていこうと思って入りました。
福島 ふーん。なるほど。
介護福祉コースだと直接的に介護をするから?
熊田 そうなんです。介護福祉士は。
福島 社会福祉コースは間接的だったり管理的な?
熊田 そういう役割があって、相談援助というか、本人やご家族様に対する相談や支援、みたいな意味合いのものだったんです。
福島 老人か子供か、って全然違うじゃないですか?
僕もこの前老人施設のリフォームをやらせてもらったんですけど。
熊田 あ、はい。
福島 難しくて、ちょっと想像ができなくて。
例えば認知症の方とかが、夜いろいろ、徘徊しちゃうとか、そういうのが、自分の想像を超えちゃうんですよ。わからないので…
熊田 はい。
福島 でも、こどもなんかは、自分もこどもだったんで、子供の気持ちがわかったりとか、そういうのがあるんですけど、そういうお年寄りなんかは命の…なんていうんだろう、命の最後に近いというんですかね。
熊田 そうですね。
福島 自分はまだお年寄りを経験していないから自分たちが果たして今そういう仕事をできるという立場にあるのかなっていうことを考えさせられたりとか。
けどこどもは、これから始まっていくんで、そのあたりで、こどもとお年寄りは同じ福祉だけどずいぶん違う感じが僕なんかはしているんですけど。
熊田 はい。
福島 ところでなんで初め高齢者福祉に行ってそれからこどもの方に来たんですか?
熊田 福祉っていう部分の最初の動機が介護的な部分のイメージが強かったっていうのがあるんですよ。
もともとこどももすごく大好きですが、お年寄り、おじいちゃんおばあちゃんも大好きで。
そういう中で、ボランティアにいったり。よく中学校とか小学校で老人ホームに行ったりとかしませんでしたか?
福島 うーん?
熊田 お遊戯会を見せたり…。
福島 あーはい!
熊田 それで、老人ホームとかはいったりする機会があったりして、あと親戚のおじいちゃんおばあちゃんと関わったりとか。
なんか、そこまで深く考えずに、福祉イコール介護というイメージがあって、できれば介護的なことで関わりたいという思いだったんですね。
福島 あぁ。
熊田 だから障がいというよりかは、高齢者。
子どもに関しては自分も知識がなかったですし、障がいがあったとしてもどちらかっていうと保育のイメージがあったんですよ。だから、障がいか高齢者で迷ったところで、「自分には高齢者が合っている」って。
福島 そうなんですね。
ぼくおじいちゃん子なんですよ。
熊田 ああ。
福島 だからおじいさんにはずいぶん安心感があるっていうか。
あのーなんていうんだろう。僕も学校あんまり馴染めなかったし。
馴染めなかったっていうか、社会の仕組み、社会制度っていうのがあんまり好きじゃなくって。
それでいつもおじいさんが理解してくれてたんですよ。
孫っていうこともあるんでしょうけど、いつも「それでいいそれでいい」って何度も言われてて。
お年寄りに対して安心感ていうか、そういうのが結構強いんですよね。
だからそういうのとかってあるんですかね、熊田さんも。
熊田 直属の母方父方の祖父母の関りって、正直少ないんですよ。
福島 あ、そうなんですか。
熊田 親が兄弟が多かったんですよ。お互いに末っ子同士で結婚して、自分も親戚の中で一番ちっちゃい。兄も8歳離れてるんで。
福島 あぁ、そう。
熊田 だからかなり年配だったので、本当に、一番長生きされた人が、母方のおばあちゃんだったんですけど、それでも小学校の時に亡くなっちゃって。
福島 あぁ。
熊田 本当に片手で数えるくらいの関りしかなくて。
そこまでがっつり関わっていなかったっていうので、逆に「こういう人、こういう立場があるんだ!」っていうそういう感じがあったんですかね。
福島 それで、このシュシュに来るまでは「子ども」って全然なかったんですか?
熊田 シュシュに来るまで、10年弱、高齢者ですね。
福島 じゃあ子どもを見るのはここが初めて?
熊田 そうですね。研修とかではあったんですけど。
こういう形で子どもを見るっていうのは全く初めてで。
福島 あぁ。実際どうですか?子どもの方でやってみて。
熊田 やっぱり保育的なイメージもあったので、仲よく研修とかのイメージが強いかなと思っていたんです。
ここに来る前に同じ事業所を回らせてもらったんですよ。実習みたいな感じで。
そしたら、すごい重要だったんです。この年齢の時期に関わることが。
だからちょっと悩みました。やっぱり。どういう風に関わればいいのかって。
福島 重要っていうのは?子供の成長?
熊田 そう、成長。3歳、4歳、5歳っていうちょうどこの年代の時に、いかに療育ができるかっていうことの大切さ。
健常者の子はある程度培っていく上で、「これやっちゃダメなんだ」とかあるんですけども、
発達障がいを持ったお子さんは、好ましくない行動が固定されたまま大人になっちゃうこともあるんです。そうすると、ここを自分たちがおろそかにしちゃったら、その子の将来って、変な言い方ですが悪くしちゃうということもあるじゃないですか。そうしたら自分たちにあるのはかなりの責任だなって。
福島 あぁ。
熊田 ただ楽しくわいわい子どもたちと遊んでいて良いとかいうような感じではなくて。
福島 はいはい。
熊田 全然イメージが違いましたね。子どもが生活する場所というより成長してもらう場所。
福島 その、障がい持っている子と持ってない子っていうのはどういう違いがあるんですか?
熊田 自分が意地悪してやる、悪さしてやるっていう、気持ちでやるんではなくて先天的なものなので、その子の性格とかではないんですね。
福島 性格とは関係ないんですか?
熊田 多少はあるんですけども、発達障がいっていうのは基本的に脳の機能障害が原因なので。
昔はそういうことがわかっていないので、理解が得られなかったりもしたんですけど。
福島 あぁ。
熊田 そうじゃなくて根本的なことで。そういった障がいがあるからこそのこの状態。だから、それを理解してあげるっていうこと。理解したから、仕方ないから、いいよと言って野放しにしちゃったらそれは話が違いますし。
そこは経験をしていくしかないんです。望ましくない行動を、経験させない。
福島 させない?
熊田 そう。経験させないことが重要なんです。
しちゃった後に指導しても、あんまり効果がない。
福島 ほう。じゃあ、言い方はあれですが知らなかったで済む方が良いんですか。
熊田 そうです、そうです。
福島 経験してみて、「これだめなんだ」って僕なんかは親としてはそういう経験させて教えてるっていうのありますけど、そういうんじゃない?全くそこに触れさせない?
熊田 ものにもよると思うんですけど、例えば子どもたちは電気をポチポチっと押してっていうのが好きっていうのはよくあって、好奇心だから悪いことではないんですけども。でも発達障がいの子っていうのはそれが続いちゃうんですよね。
福島 あぁ、ずーっとね。
熊田 健常の子はもうやらなくなったり、興味がそれたりするんですが、発達障がいの子はそれが楽しくなっちゃって、「今それしちゃいけない」というときにもするから、まずいんです。
だから、それをやりに行ったときに、止めて、押させない。近づいていったら静止して、違うことに興味を向けさせる。というのを続けていると、やるのが習慣にならなくて、習慣が無くなっていく。だんだんとそういうのがなくなっていく。
福島 へぇ。
熊田 多動なお子さんとかは座ってるのが難しくて、座ってもすぐに立っちゃうんです。
その時には後ろにいて、立ったら座らせる、立ったら座らせる。
福島 ほう。
熊田 だから、ちょっとした抑制っていうことになっちゃうんですけど、 経験として、動かないっていう経験をさせていくと、徐々に落ち着いて座っていられるようになる。
福島 へぇ。
熊田 今通ってるお子さんもだいぶ座っていられるようになってきました。
最初は、とにかく座り続けるのが苦手でした。
福島 あぁ、たしかに!たくさんの要望を言われたのも春頃ですね。
熊田 それが今は落ち着いて、ある程度大人の指示に応じて行動できる。
子どもらしさって大事なんですけれど、子どもらしさと望ましくない行動の部分は表裏一体で非常に難しいんですよ。子どもらしさを尊重するばかりに社会性が無くなってしまうっていうのもいけないんです。
福島 そうですね。
今後はどういうふうなビジョンでいかれるのですか?
熊田 全体として?
福島 はい、熊田さんの人生もそうだし。
結構僕なんかが見ていて、子どもが好きそうだなというのもあるし、真面目ですしね(笑)
2人 ははは(笑)
福島 だからその、どういう風な将来を考えているのかなと。この場所もそうですしね、熊田さん自身もどうなのかなと思って。
熊田 どうせだったら面白いことがしたいなというのが根本的にはあります。
福島 おおー。
熊田 固定観念にとらわれないというか、「この業界のこの仕事はこれが当たり前」とか、「これをやる」とか。
そういうのがあって、それはちょっと面白くないっていうのがあって。
もちろん今までの先駆者たちが研究とかを重ねてきたことで、これが良いですよっていうことは守りたいとは思うんですけども。
福島 はい。
熊田 そうじゃない部分だったら、いろいろ試していろいろやってみてもいいんじゃないかと。
そこで間違いだったら、また切り替えればいいかなっていうのがあるんで。
まあそういったイベントごともそうですし、仕組みだったりとかっていうのも、いろいろやっていきたいなと。
福島 具体的にやってみたいこととかはあるんですか?
熊田 子どもたちの関りというのがまだまだ未熟なので、自分自身がまだこの業界のことを勉強している状態なんですよ。だからそれと並行しながらいろいろ考えていきたいと思っているんですけど。
福祉の業界ってお金が少ないので、そうすると結局奉仕の心があって、そういう人があつまらないとどうしても成り立たないところがあって、で、それはありがたいんですけど、やっぱこの業界ももっと一般的な企業さんのような給料を払ってあげたいですし、逆に言うとそれ以上払うことによって、この業界にきたいなって言う人がどんどんふえる、その仕組みを作りたい。
企業さんはいいものを作ってそれが売れればそれに見合っただけのお金が入ってくる、その仕組みが今のこの業界だと作れない。いいサービスを提供したとしても、入ってくるお金は変わらない。そこをどう変えていくかと考えたときに、そう言ったことを理解してくれるスポンサーを集めたりとかして、保険とか通所給付費とか使わずに運営できたら、国とか県とかの縛りが減って、ある程度自由にできる。そうすれば面白いことも出来るし、スポンサーから理解いただいて、頂いた資金でよりいい待遇で働いてもらえるっていうのをやりたいなって、あくまで理想の理想なんですけど、思っています。
福島 せひやりたいですね~!
雇用を生むって、事業活動によって世の中の問題を解決するとかとっても素晴らしいことだと思うんですよね。
なんか、面白いことになりそうですね。
熊田 ははは(笑)
福島 やっぱり人生ドラマはあったほうがいいですもんね。
2人 ははは(笑)
福島 僕もやっぱり人生いろいろあったほうが良いと思ってますから。
あまり順風満帆より、人に伝えられることが多いんじゃないですかね。
今日はありがとうございました。たくさんお話ししてもらって。
熊田 こちらこそありがとうございました。